鰯の頭も信心からの語源は?由来は節分にあった!

鰯の頭も信心からの語源は?由来は節分にあった!

他人にとっては全く価値も魅力もない物でも、自分にとってはすごく大切な物。
皆さんにはあるでしょうか。

海岸で拾った貝殻。
道端に落ちていた石。

極端なところでは、いわゆるゴミ屋敷のゴミたち。
「これはゴミじゃない、資源だ、財産だ!」
と仰っている通り、その住人にとってはとても価値のある物。

あるいは、物ではありませんが、大ヒットしている某アニメ映画のメインキャラクター。
「深い沼がそこにはある」とは友人談ですが、もはや女性信者を獲得し続ける一種の宗教の教祖のようですよね…。

そんな、見る人が見ると素晴らしい物。に関することわざがあります。

「鰯の頭も信心から」

「めでたい」の「鯛」は縁起物として浸透していますが、鰯の、しかも頭です。
なぜこのようなことわざができたのか。
まずはことわざの意味から見ていきます。

「鰯の頭も信心から」の意味

このことわざは
「鰯の頭のような一見価値のない物でも、信仰すれば非常に尊い物に見える」
という意味があります。
元々は、主に新興宗教などに対して皮肉の意味で使われた言葉のようです。
また、何かを頑固に信じきっている人をさげすむ時にも使われます。

類似のことわざに
「白紙も信心から」
「竹箒も五百羅漢」
などがあります。

ことわざの由来

それではなぜ「鰯の頭」なのでしょうか。
それは節分の風習に由来しています。

節分の翌日は立春です。
旧暦では立春が一年の始まりであったので、節分は冬の最後の日、大晦日に当たります。

その節分の日に一年の厄を払って新しい年を迎えよう。ということで厄除けとして鬼に豆まきが行われました。

豆まきの他に節分の日にすることと言えば、
「豆まきの豆を歳の数だけ食べる」
「恵方巻きをその年の恵方を向いて食べる」
などがありますが、もう1つ
「魔除けのために鰯を飾る」
というものもあります。

鬼や邪気を払って、悪い霊が迷い込むのを防ぐため、節分の日に鰯の頭を柊の小枝に刺しそれを戸口に挿しておく。という風習があります。
「節分イワシ」と呼ばれるようですね。

地域によっては馴染みのない風習かもしれませんが、現在もこの節分イワシを飾る地域もあるようです。

この風習のことをつまらない信仰。と揶揄したのが
「鰯の頭も信心から」
ということわざの由来だそうです。

節分の由来を知っているとつまらない信仰というものがピンときませんが、これを知らない人からすると、何の価値もないただの鰯の頭。捨てればいいのに、と思うのでしょうね。

このことわざを英語で言うと

英語では
「faith can make a sardine sacred」

直訳すると「信仰は鰯を神聖にできる」といった感じですね。
英語圏の人としても、鰯はやっぱりただの鰯、ということでしょうか。

おわりに

人間皆、価値観は違います。

自分にとって素晴らしいと思うものを人に勧めようとしても
(そういえばこういった行為を「布教する」と言ったりしますね)
相手には理解してもらえないこともしばしば。

「鰯の頭も信心から」は皮肉であったりからかいであったり、あまり良くないニュアンスで使われますが、それぞれが好きなもの、大切にしているものは、お互いに尊重し合って生活していきたいものです。

ただし人様に迷惑をかけないように。
そうすると今度は迷惑の判断も人それぞれ、なんて堂々巡りになりますが、思いやりをもって生活していけば、きっと良い世の中になりますよね。