うつ病最悪期を脱して。それでも働かないと生きていけない。

うつ病寝たきり底の底

「もう、このままではマジでヤバイ・・・」

混乱して思考できない頭で、でもそれだけははっきりと認識していた僕は、もうこの会社で仕事を続けていくことは出来ないと、ヨメさんと会社に泣きながら訴えて退職し、それから数週間をほとんどベッドから動けずに過ごすことになりました。

病状的には、この退職後数週間が最も最悪な時期でした。

辞めて正直ほっとしたけど、動けず、考えられず。

会社を退職して「最悪にツライ状況」からは逃れられたので、正直ほっとしたのは間違いないですけど、だからといってすぐに病状が回復するようなものでもありません。

底の底のこの時期は、精神的、心象的には、全てが閉じ切った一切の「無」の状態でした。

悲しい。とか辛い。とかの感情すらもなく、何もない状態です。

脳がパンクして強制シャットダウンしてしまったみたいです。

身体的にも表情の一切は消え、動きも鈍く最低限のことしか出来ません。

味がしないので食欲が失せ、音がうるさいのでテレビも観れず話も聞けず、頭が回らないので会話も出来ず、光がまぶしいので目をつむり、外からの刺激が何もかも億劫で、意欲も興味も意思も失せ、何もないのでただただベッドの上でじっとしている事しかできませんでした。

徐々に回復してきて嬉しいけど今度は現実が・・・

しばらく寝たきりの完全静養状態で過ごしたおかげか、徐々に精気を取り戻して、まずはリビングでしばらく過ごし、次は近所のコンビニに食事を買いに行き、自転車に乗って近所をぐるりと回り・・・と数週間で寝たきり状態からは脱して動けるようになりました。

まだまだ疲れやすく、頭を使うようなことは出来ませんでしたが、最低限の活動はできそうなところまで回復です。

そうすると、次は一旦遠ざけていた問題が再び立ち上がります。

どうやって生活していくのか。日々の生活費問題です。

あまり蓄えもなく、ヨメさんは働いていましたが、そちらをアテにし続ける訳にもいきません。

後になって振り返った時に「ありがたい」と思えたのですが、当時から一貫してヨメさんのスタンスは

「甘えるな、働かざるもの食うべからずだ」

というものでした。(具体的にそう言っていた訳ではないですが、総意はこういう感じ)

うつ病に対する理解度やヨメさんの性格的なところもあったと思いますが、どうも根性論的な視点から僕の状態を見ているフシがあったようで、もちろんいたわりや心配といったものもありましたが、それ以上にこれからの生活をどうするのか。という現実的な不安を隠さず突き付けてくるプレッシャーのようなものを前面に感じていました。

しかし、そのプレッシャーのおかげで僕は多少の無理をしながらでも早々の社会復帰をせざるを得なかった訳で、完全に腐る前に最低限ではありつつも活動再開を果たせたのは、ヨメさんの厳しさのおかげだったと今では感謝しています。

そんな訳で、寝たきり状態から脱した僕はとりあえずの生活費を稼ぐために出来そうな仕事を探して、まずは日雇い派遣の会社に登録して倉庫での仕分け作業など、簡単そうでコミュニケーションもいらなそうな単純作業のバイトからはじめる事になりました。

ただただ手を動かすだけでいい、頭も使わない単純作業はその当時の僕にとってはぴったりの仕事でした。

こんな僕でも出来る仕事がある。稼げる手段がある。

わずかばかりの自信にも繋がりました。

それから数年間、僕はフリーターとしてバイト先を転々とした後に最後のバイト先で正社員となって今に至ります。

激しい感情が収まらない躁鬱ジェットコースター

最悪の底の底、一切の感情が消え去った「無」の状態を脱した僕は一応の社会復帰を果たすことが出来ましたが、うつ病の症状はまだまだ衰えず、形を変えて苦しめられ続けました。

感情をコントロールできず激しいアップダウンを繰り返すジェットコースターのような精神状態。いわゆる「躁鬱(そううつ)」の状態です。

これがまた本当にキツかった。そして長かったです。

※この体験記は個人の記憶と主観に基づいて書かれています。
医学的な情報などはなるべく正確を期す様に心掛けておりますが、あくまで個人の体験談として読まれるようお願いします。

←←←前の記事←←←

→→→次の記事→→→

※※※目次※※※

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする